人間、何をやっても、何もやらなくても後悔するのが常ですね。結婚しても後悔するし、結婚しなくても後悔する、という話に通じるものがあります。だからこそ、自分が本当に求めるものを探して、そして、自分の心が喜ぶことをやるのが楽しいし、正しいです。人間、楽しい思い出だけしかもてないのかもしれません。
批判するというのは、人間、まだまだ完成していないということかもしれません。賢い人は、口をつぐんでいる、というのもありますね。まぁ、悪口から喧嘩や諍いがはじまるというのもよくあることです。いやはや、私にとってみても、耳の痛い言葉です。そういうことをビシッといえる兼好法師は偉いですね。
なんていうか、兼好法師、達観してますよね。教科書の掲載されないだろうなという辛らつさが見事に表現されています。しかし、内容はビシッとしていまして、反論することができないな、という雰囲気があります。こういうのがあるから、徒然草は名作ということなんでしょうか。
これは現代の日本人に伝えたいことかもしれません。FIREして、引退して、悠々自適に過ごす、っていうのは根本的に間違ってるのかもしれない、と思わせます。でも、そもそも、兼好法師は悠々自適に過ごしていましたよね。悠々自適に過ごすということは、そういうことなのかもしれません。
恋とか別れとか、そういうのはいくら時代が経とうとも、変わらないものですよね。こういうところにも切り込んでいくのが心憎い感じですね。
こういうのもいいです。生きているから、笑いがある、みたいなところもあります。
これは名文ですね。神道と仏教が掛け合わされて、融合した哲学がありありと表現されているような気がします。現在、生きている私たちにとってすれば、希望や欲望はかなえるものである、という感覚がありますが、昔はあきらめるのがてっとりばやい、みたいな感覚もあったのかなと。すべては煙のようなもので、夢や幻である、みたいな雰囲気が伝わってきます。
徒然草を通読して思ったこと、それは清少納言の枕草子を意識して書かれているのではないかなと。あるいは、枕草子をお手本にして、徒然草を書いたような気がしました。美意識や価値観や哲学を徒然草で構築しているような雰囲気も感じられます。それだからこそ、徒然草は価値のある言説なのですが、一歩、枕草子を超えられてないような気もします。男版枕草子かもしれません。
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